武田整形外科 有馬新七 辺見十郎太

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私のルーツ

有馬新七が高祖父、 辺見十郎太が曽祖父の兄にあたります。
有馬新七は文武両道の幕末志士であり、過激な尊王攘夷を純粋に貫いたため、京都で島津久光の命を受けた同郷の薩摩藩士に粛清されています。騒動の際、刀が折れたため敵を壁に押し付け、「オイごと刺せ、オイごと刺せ!(俺ごと刺せ)」と部下に言い放ち、敵もろとも串刺しとなる壮絶な最期をとげています(享年38歳)。(寺田屋事件:1862年)
辺見十郎太は薩摩きっての武闘派志士であり、当時身長180cmをこえる大男でした。自顕流の剣の達人であり戊辰戦争で戦功をあげ近衛大尉となりました。その後、西郷隆盛とともに帰鹿し、西南戦争では雷撃隊を率いて鹿児島城山で最期を遂げています(享年28歳)。ちなみ映画ラストサムライは西南戦争をモチーフにしています。

京都伏見寺田屋事件九烈士の墓

寺田屋騒動九烈士の墓







辺見十郎太

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